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性格とは なんぞや

血液型は性格に影響するのか。わたしは しないと おもいます。

素朴な実感だろ?と いわれれば、「はい、そうです」としか いえません。ともかく、血液型は性格に影響するということを信じる(正確には、科学者に信じさせる)ために必要なこと、というのは なかなか ややこしいようです。渡邊芳之(わたなべ・よしゆき)さんがABOFANさんと議論したものがあるので紹介しておきます。はげしく長文なので、つまみぐいしてください(→「ABOFANさんへの手紙」)。

血液型こそが性格をきめるという話なのか、影響しますよという話なのか よく しらないけれども、「性格」って なんだ?ということを安易に定義しているという印象がある。性格って、そんなに かんたんに定義できるもんじゃないですよ、という話は きいたことがあった。

そこで、やまだ・ようこ編『現場心理学の発想』をひもといてみた。佐藤達哉(さとう・たつや)さんの「概念や尺度に惑わされない性格研究を」に注目。佐藤さんによると「性格の素朴実在論」と よばれるものがある。それは、性格というものが内的に実在し、性格を記述したものはその人の性格を正確に反映しているという前提をいうようだ。これをミシェルという人が批判し、アメリカの心理学で「一貫性論争」とよばれる大論争が20年以上に わたって展開されたと。あたらしい定義を紹介しつつ佐藤さんは「性格とは人と状況(他人や環境)との関係性」であるとしている。はげしく話を省略しているので、よく わからないと おもいます。ともかく、「性格というものが個々人に そなわっている」とは安易に いえないということですね。すくなくとも、学問上はね。

それは、ドイツ映画『es』なんかをおもいだしてみても、納得のいく説明だと感じられます(『es』は実話にもとづく映画。心理学の実験で看守役と囚人役をあてられた一般人が はげしく暴走する姿が えがかれてます。暴走したのは、まぁ看守役ですけども)。

グーグル:「一貫性論争」 / 「監獄実験」