現代をいきる わたしたちにとって、未来を展望しつつ あゆんでいく わたしたちにとって、遺伝子とは一体なんなのか。いやだろうと なんだろうと、その問いは わたしたちに つきつけられている。なにも関係ないことだと おもっていても、遺伝子は ひょっこりと顔をだし、わたしたちを困惑させる。
ここまで、なにか遺伝子が なにか脅威のような存在のように表現したけれども、遺伝子は「発見されたもの」であって、突然変異のように発生したものとは ちがう。だから厳密には遺伝子の発見とは なにかをとわなくてはならないだろう。
それぞれに さまざまな欲望があり、思惑がある。いろんな人がいろんな場面で遺伝子をもちだし、あるいは もちだされる。遺伝子は、つねにそうした欲望や文脈と ともにあるものである。わたしたちは人の多様性と むきあい、さまざまな状況において「遺伝子」に もたされた意味をかんがえなくては ならないのだろう。
たとえば、『ウェクスラー家の選択-遺伝子診断と向きあった家族』をどうよむのか。『それでもヒトは人体を改変する-遺伝子工学の最前線から』の提示する みとおしをどう かんがえるのか。たのんだわけでもないのに いつの間にか つきつけられた問いに、困惑しながらも むきあってみるしかないのである。
と、かった本をしっかり よむように自分に いいきかせてみる。
グーグル:「遺伝子とは何か」