「感情論に はしらず冷静な対応を」「冷静な姿勢で対処」などなど。よく ゆーよ。
あんたは感情的じゃなくて冷静だってゆー保証がどこにあるのさ。愛国心ってゆー感情に のみこまれてるくせによ。他人事あつかいして はたから ながめていたいっていうのが まるだしじゃないのよ。
個人と個人は対立する。いつも仲よしじゃいられない。だれより自分が かわいいし、利害が からむ。そりゃ ぶつかるわ。個人のあいだで ぶつかりあうのは、わるいことでも なんでも ないと おもう。そーゆーもんだ。しかしだ。とある だれだれさんが あっちグループで、とある だれだれさんは こっちグループで、あっちと こっちで ぶつかりあわないと いけないなんて はなしは ない。「自然」なことでも なんでも ない。どこかで おどらされてるのです。あほらしいくらいに みみっちい。
韓国の しりあいが、よく いってたことがある。わたしは あんまり納得しなかったけれども、この文脈には あてはまるような気がする。はなしをかんたんに要約すると、「非障害者と障害者」という構図をつくって議論していても だめだ。結局は個人と個人の関係のなかから かんがえる必要がある。 まぁ、こんな話。わたしは、スタートラインも なにもかも平等じゃないなかで「個人と個人」だなんて いえないだろうと おもってた。それは いまも かわらない。でも、「構図をつくること」の問題というのは やっぱり ある。それは「分類する」ということの問題でも あるわけだ。
「冷静に」だなんて のたまう人をまず最初に うたがいましょう。そして、「おめーだよ!」と つぶやこう。
グーグル:「冷静な対応を」 ← うわっ。1位 ヨン様だよ(苦笑)。ともかく、今回の検索結果は必見です。