hituziのブログじゃがー

ツイッターは おわった。もっぺんブログの時代じゃ。

ほんとのことは、うそをつく

すべてが、うらがえる。どんなものでも、ひっくりかえる。

ちょっと そこの あなた。「さみしい」って いってごらんなさい。どう、いってみた? かんがえてみた?

で、どうなのよ。じっさいのところ。ほんとに そうだと感じる? それとも、そうでもないかなって おもう? どっちでも あるかな?

べつに なんでもいいのよ。「最近つかれた」とか、「毎日が たのしい」とか、「なにかが ちがう」とか、どんなことでもいい。なにかを感じてみて、ことばにしてみて、ふりかえってみてくださいな。どれだけ ほんとのことであっても、しっくりこない部分も のこるはずよ。そうでも ないなって ところが あるはずなのよ。そこまででもないよとか、あるいは、さっき ごはん たべたら そうでもなくなったとか。

どんなに ほんとのことでも、「ほんとの意味で」そっくりそのまま「ほんとのこと」なんかじゃないのよ。なにをいっても、うそをふくんでいるのよ。事実を純粋に きりとることなんて できないわ。だれにも できることではないわ。どんな ことばでも、あらわしきれないものよ。あなたの気もちや状態なんて。ひとの心なんて。わたしの人生なんて。

それだったらね。計算づくで結果オーライをねらいなさいよ。じょうずに ほんとのことをいいましょうよ。それはつまり、じょうずに うそをつきましょうってことよ。

うそをつくのをためらってはいけないわ。ほんとのことをいうのをこわがっても だめよ。自分のため。自分のためだけに、上手に うそをつき、ほんとのことをいえば いいのよ。ほんとも うそも、結局は ことばの限界だとか感情の複雑さによるもので、人格の問題じゃないの。ほんとも うそも、いっしょのことよ。程度の差があるだけよ。

もちろんね。程度の差が すべてを支配しているのだから、程度の差をみとめるだけでは なんの説明にも なってない。けど、すこしだけでも、ふわっと気もちが かるくなるなら、それで ひとつ、まえに すすめたことになる。

たぶんだけどね。自分のためであるなら、どんなうそも、どんなに ほんとのことも、いってしまって いいんじゃないかしら。まーね。自分のためってのも、いろいろあるわ。すべて結果が勝負なのだから。結果さえ よければ、ちょっと「ひとのため」に みえてしまっても、もちろんいいのよ。けど いつも、計算だかくなければ だめよ。

ひっくりかえるのも、ひっくりかえすのも、自分のためでなくては いけない。