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映画『ヒューマン・ネイチュア』

べつについ最近『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』という本をかったからというわけではない。この映画、すきなのだ。みるのは2回目だったが、いかんせん、はじめてみたときはテレビで途中からみたのだった。

ユーモアに いりまじって「かんがえさせる」部分をはさみこんでいて、なかなかいい。みる側に ゆだねられた作品というか。けど、それほど「名作」と感じさせる映画というわけではない。何度も みると、おもしろいのかも。

罰則型条件づけでテーブルマナーをみにつけるネズミが おもしろい。博士は、森のなかで野生人をみつけ、こやつを文明化させようと おもいつくのだった。ジョディ・フォスター主演の『ネル』と対比させてみるのも いいかもしれない。

結局オチはそれかい!と観客に おもわせながらも、なにか納得できないものをのこすという、なかなか にくい内容構成だ。CGを極力さけたという撮影方法も たのしい。それは、監督と主演のリス・エヴァンスの解説をみて しったのだが。映画って、こまかい しかけをいっぱい ほどこしてるものですね。ま、そういう こまかなところに気をとられずに さらりとみるのが映画のたのしみだと おもうのだけどね。で、たまに気づいて にんまり わらうという。つくるほうとしては、そんなこまかなところに愛着があったりするというね。そういうところがあると おもう。

爆笑しながら みられるかと おもったが、2回目なのもあり、そういうこともなく。「もう自然に かえらなくては」といいつつ、腕時計をみるシーンがすき。

もしもだ。自分をサルだと おもいこんでいた主人公が、女性に設定してあったら、どんな内容になったのだろうか。『ヒューマン・ネイチュア』における自然観、男性観というのは、わりかし平均的というか、ありきたりなのだけど、主人公が女性の設定だったら、どんな内容になるのだろう、などと かんがえてみたりした。

グーグル:「ヒューマン・ネイチュア」