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あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

ミタさんはロボットではない。

 『家政婦のミタ』というドラマ。おもしろい。すきだ。


 おもしろい点は いくつかある。ひとつは、責任を 実感するプロセス。


 このドラマにでてくる家族は、最初「家政婦」に やたらと あまえる。「家政婦なんだから、ちょっと」と、勝手な「家政婦」イメージで 愛想を とってもらおうとする。ご意見してもらおうとする。


 ミタさんは、きめるのは あなたたちだ、わたし(家政婦)は 家族ではないということを つたえる。そして、ミタさんは いわれたこと(業務命令)は どんなに無茶なことでも やってしまう。
 そこで、ミタさんに 依頼を するひとは 責任を 感じるようになる。


 「どうして そんなことするんだよ!」と おこってみても、依頼したのは 自分だからだ。ミタさんは「おてつだい」は してくれても、なにかを 自分のかわりに きめてくれるわけではないからだ。


 もうひとつは、ミタさんはロボットではないということだ。ドラマのなかで、ミタさんは依頼されたことを 正確に こなす。常識はずれのことであっても、やってしまう。しかし、それだけではない。ミタさんは、あきらかに「余計なこと」を している。その余計なことは、ミタさんの人間性を あらわしている。ミタさんの やさしさと いっても いいだろう。


 ロボットのようでいて、そうではない。そこにミタさんの魅力がある。


 さらに もうひとつ、「感情労働とは なにか」という点で おもしろい。感情労働というのは、なにも「笑顔でサービスする」というだけのことではない。業務を すすめるために、自分の感情を コントロールするという点が ポイントである。


 なきたいのに がまんして 笑顔で接する。わらいたいのに がまんして まじめな表情で 仕事を する。それが感情労働の しんどいところだ。


 さて、ミタさんにとって 感情労働とは なんだろうか。それが いまの時点(第9回まで放送)では わからない。
 ミタさんの表情を みていると、労働時間と それ以外の時間に それほど ちがいがないように みえる。労働だからと いって 感情を 管理しているようには みえない。


 ミタさんは、「わらってはいけない」と自分を 律している。つまり、自分の人生まるごと 感情管理しているのだ。「労働だから」ではない。


 ミタさんは、ロボットのように なれる仕事として、「家政婦」を えらんだ。つまり、自分の人生の感情管理に 仕事を あわせたということだ。これでは 労働管理と いったほうが適切かもしれない。じっさい、「期待される家政婦像」を 演じることはないのだから。かんぺきに 家事を こなすという点 以外では。


 家族のほうも、ミタさんの「労働管理」、「人生の感情管理」を 尊重することになったのだから。


 しかし、ミタさんはロボットではない。人生の感情管理を まっとうできるほど、人間は つよくない。そもそも、そんなことを つよがる必要はないのだ。無理しなくて、いいじゃないか。


 仕事だろうと、なんだろうと、期待されようと、なんだろうと。自分なりに、したいこと、したくないことがある。それを コントロールしよう。それはつまり、人間関係を コントロールしようということだ。無理に あわせる必要はない。自分が 納得できる関係にしよう。



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