hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

だれのためのデザインか(便座について)。

 N700系の新幹線の11号車に、車いす対応トイレがある。まるい部屋に なっていて、ひろさを 確保している。ただ、ベンチレーターのひとは それでも せまくて 使用できないかもしれない。とはいえ、このトイレができたことで新幹線が利用しやすくなった ひとは たくさん いるのだろう。ひろさの確保という点では、限界があるにせよ、かなり配慮してあると おもう。


 気になったのは、ちがう点だ。このトイレは、なぜか、自動的に便座があがるようになっている。手をかざすと水をながすセンサーがある。もうひとつセンサーがあって「便座をおろす」ためのものだ。これは おかしい。


 なぜ、どうして、便座をあげた状態が標準設計なのか。



 男性のうち、さらに、便座式のトイレで あえて便座をあげて おしっこをするひとのためのデザインになっている。便座式のトイレで、便座に すわって おしっこをすることに、なんの問題があるのか。
 不潔なのが いやだから、便座に すわりたくないという ひとも、それは いるでしょう。
 便座式のトイレに すわらずに、たって おしっこをすると、おしっこが とびちる。清潔が すきで、便座に すわりたくない ひとは、かぎりなく すわった状態に ちかいくらいの距離まで 腰をおろして おしっこをするべきだ。そうでないと、自分の清潔だけが大事で、「他人の衛生は どうでもいい」ということになってしまう。



 なぜ「手をかざすと便座があがる」という設計にしないのか。なぜ車いす対応トイレを、「おしっこは たってするものだ」という不思議な行動規範を もっている ひとに あわせる必要があるのか。


 客席のほうから介助で あるきながら車いす対応トイレに むかってくる ひとが いたので、ドアをあけて、あがっていた便座をさげた。その ふたりが トイレから でたときに、便座が あがっているのをみて、ああ、いらないことをしたのかなと おもった。しかし、しばらくして、自動的に便座があがる設計になっていることに気づいた。むかむかした。


 標準を だれに あわせるのか。だれが デザインしているのか。便座 ひとつで思想が みえると感じた。いかがわしいデザインだ。


 おそらく、男性のうち、便座式のトイレで あえて便座をあげて おしっこをする ひとは、あがっている便座を おろして便座に すわって おしっこをする男性がいることを わかっていない。
 たぶん、便座式のトイレで あえて便座をあげて おしっこをする ひとは、トイレそうじをしない。


 アメリカの映画を みていると、母親が むすこに、「おしっこのあとに 便座を おろしてくれて ありがとう」と いっている場面を みかける。


 「そもそもなあ、すわってすれば いいんだよ、おまえ、そうじしてみろよ、とびちってんだよ、ていうか、そうじしろよ」くらいは いって いいのだ。こんなこと、いわなくても いいのが当然なのだ。


 おかしいのは、便座式のトイレで あえて便座をあげて おしっこをする ひとに あわせる社会のほうなのだ。


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