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原発の立地(「事故が おきたら賠償が たいへんだから」)。

 武田徹(たけだ・とおる)『「核」論―鉄腕アトム原発事故のあいだ』中公文庫(追記:この本は『私たちはこうして「原発大国」を選んだ―増補版「核」論』中公新書ラクレとして復刊されました。)


 いっきに よんだ。参考になった。印象的だった部分は たくさんある。たくさん ありすぎるので、あまり要約したくない。ぜひ よんでみてください。


「1947年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と」(130-152ページ)


 この章で、武田は1961年の「原子力損害賠償法」の成立について紹介している。この法律をつくるとき、参考にしたのがアメリカの「プライス・アンダーソン法」(原発事故による賠償方法をさだめる法律)だったという。


 原発事故による被害が あまりにも ひどい場合には、国が賠償するという、そういう きまりですね。


 武田は、1964年に原子力委員会が つくった「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」PDF版HTML版(1989年一部改訂)という文書を 紹介している。「それによれば立地条件の適否を判断するために、少なくとも次の三条件が満たされている必要があるという」(137ページ)。


 引用されている その条件をみると「1 原子炉の周囲は、ある距離の範囲内は非居住区域であること」「2 原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること」「3 原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」だそうだ(137-138ページ)。「ある距離」「低人口地帯」についての説明がきは省略した。


 この指針に「別紙2」として「原子炉立地指針を適用する際に必要な暫定的な判断のめやす」という文書があり、さらに具体的に説明がある。たとえば「3 指針3にいう「ある距離だけ離れていること」を判断するめやすとして、外国の例(たとえば2万人Sv)を参考にすること」とある。


 要点だけを 引用すると、「こうして立地場所を限定することで原子力事故の賠償が天井知らずになることを防ごうとした」ということであり、「これは、しかし、原子力発電所の運転継続を国が望む場合、その地域は過疎であり続けなければならないことにもなる。…中略…逆に言えば過疎化を前提とせずには、事故の際に現実的な範囲で賠償可能の域に留める事は出来ない。これが原子力賠償法の裏側にあるリアリズムだった」ということだ(139ページ)。

 こういう リクツで、東京には 原発を つくることはできない。東京が、人口のすくない地域にならないかぎり。
 

 原発ができると地域に お金が はいるというはなしがある。建設から運営まで仕事もできるし、でかせぎに いかなくて よくなるという。しかし、現実は どうだったのか。
 武田は、「原発を誘致すると地元に札束がばらまかれると思っている人が多い。実際、御殿のような公共施設を多く作っている市町村もあるが、決してすべてがそうではない」としている(144ページ)。


電源三法 - ウィキペディアを みてみよう。事実を ごまかした記述があるので 注意してください。

電源三法(でんげんさんぽう)とは、電源開発促進税法特別会計に関する法律(旧 電源開発促進対策特別会計法)、発電用施設周辺地域整備法の総称である。これらの法律の主な目的は、電源開発が行われる地域に対して補助金を交付し、これによって電源の開発、すなわち発電所の建設を促進し、運転を円滑にしようとするものである[1]。


電源三法交付金(でんげんさんぽうこうふきん)は、電源三法に基づき、地方公共団体に交付される交付金である。


解説
電気は溜めることが出来ず、そのため電力会社は需要の伸びにより発電所の建設を強いられる。しかし、電力の需要が大きい都市部には発電所を建設する余地がほとんど無い場合が多いため、しばしば発電所は電力の需要地とは全く関係のない場所に建設される。


発電所には様々なデメリットがある。一番わかりやすいのは放射能汚染の危険がある原子力発電所であるが、その他の火力発電所水力発電所にもデメリットは存在する。発電所の建設により、建設される地域にとってはメリットはほとんどなくデメリットだけが存在するという状態におかれるため、発電所を建設される地域には当然反対運動が発生する(いわゆるNIMBY問題)。その反対運動を押さえ、デメリットを払拭するのがこの電源三法に基づく交付金、いわゆる電源三法交付金である。


つまり、補助金を交付することにより、発電所の建設を容易にするのがこの電源三法ということができる。


 「しかし、電力の需要が大きい都市部には発電所を建設する余地がほとんど無い場合が多いため、しばしば発電所は電力の需要地とは全く関係のない場所に建設される」という説明の、なんと いかがわしいことでしょう。
 「余地がほとんど無い」? ほとんどなんかじゃない。事故が おきたら賠償が たいへんだから、都市部には、絶対に、原発は建設しないのだ。それが日本の方針なのだ。


 「補助金を交付することにより、発電所の建設を容易にする」というのも、おそろしい表現だ。皮肉が こめられているのか、率直なのか。


 ここで、山崎隆敏(やまざき・たかとし)『福井の月の輪熊と原発』八月書房、1990年という本を みてみる。

 運転開始まもない関電美浜一号炉が、蒸気発生器の細管損傷事故で運転休止するなど、相次ぐ故障や放射能漏れ事故が社会問題となり、労働者被曝も少しずつ明るみに出てきた。世論も平和利用の幻想から次第に醒めはじめる。…中略…[そのため、]全国各地での新規立地計画が困難となった。
 そのために、福井県のような既設立地県での増設計画が強引に進められた。県や立地自治体も、電源三法による交付金や固定資産税などの麻薬的な魅力のとりことなり、新増設で新たな財源を確保するという中毒症状を呈しはじめる。新増設に反対する運動はこの時期、かつてない高揚をみせるが、もはや中毒患者を取り押さえ、諌[いさ]めることなど、残念ながら誰にもできなかった。
 因みに、原発では地域振興にならないとの批判をかわすために作られた電源三法は、1974年実施なので、既設の美浜一・二号と敦賀一号炉に関しては交付金が適用されていない。

(140ページ)


 結局のところ、原発の うけいれは地域振興には つながらなかった。たとえば、福井県知事を つとめた中川平太夫(なかがわ・へいだゆう)も議会で みとめている。

 これ以上の新増設はないと、議会でたびたび公言していた中川知事は、さらに五基の建設を認め、福井臨工の失敗を背景に、アメリカやイギリスでは開発中止となっているプルトニウム増殖炉「もんじゅ」まで誘致してしまう。…中略…
 その彼が晩年、議会で「原発誘致は地域振興に役立たなかった」と陳謝するのである。「もんじゅ」誘致のわずか3年後のことである。
 1985年10月県議会予算委員会において、自民党議員が、「知事は、領南発展のために15基もの原発を受け入れてきたが、住民の所得増大には結びつかなかった。立地市町村の財政も膨らみ過ぎ、この先どうなるかわからない」と追求した。中川知事は、「おおせのとおり。私としては過疎から抜け出すため、原発を受け入れてきたが、期待したようにはいかなかった」と答弁している。

(144-145ページ)


 もんじゅ - ウィキペディアを みてほしい。こんなものが信用できるわけがない。


 武田の『「核」論』に もどろう。武田の指摘は もっともである。

…事故の際の被害が見積もられ、そこからリスク・マネジメントの発想から、原発立地には都市を避けるべきだと考えられていたことが、立地予定地をはじめとして十分に社会に知られていたら、歴史はまったく変わっていただろう。

(146ページ)


 それは そうだろう。「事故が おきたときの損害賠償が たいへんだから、人口の すくない みなさんのところに原発を つくりたいと おもいます」。そんなはなしを だれが うけいれるのか。こんな条件を 提示されて「はい、わかりました」と、だれが うけいれるだろうか。もし、そんな「自発的な同意」があったとしても、それは自己決定とは いえない。たんなる おしつけにすぎない。



 先日、連休があったので敦賀(つるが)に いこうと おもった。福井県の観光地図をみた。なんだろう、これは。


 こんなもん いらねえ。こんなもん、うれしくない。


参考:

東電の悪夢、問われる原発の合理性 吹き飛んだ2兆7000億円弱 :日本経済新聞

 原発は、おかねで はじまり、おかねで おわる。そういうことのようだ。おわらせなくてはいけない。原発は いらない。


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