hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

介護職とボランティア。

 社会貢献活動というと、たいていある種のボランティア活動を指す。たとえば介護ボランティアなんかがあるが、これが素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかりというのはよく聞く話である。介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ。


 んー。介護職が適切にアドバイスしたうえで、できることを してもらえば だいじょうぶだと おもいますね。「素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかり」というのは、責任を ボランティア側だけに おしつけてしまっている。そういうのは、うけいれる側(介護職)の問題でもあるでしょう。共同作業ですからね。


 人間って おかしなもので、「介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ」などと いわれると、そんなことないよと いいたくなる。いっぽうで、「介護職には専門性などない」と断言されると、そうでも ないんだけどなと感じてしまう。そういうもんです。じっさい、「これはボランティアのひとには たのめないなー」ってことも あるわけで。


 介護職のひとでも、研修とかで、はじめての現場に いったりしますよね。そのときに、なにがポイントかというと、専門性とか、そういうことではなくて、「そのひとを しらない」という点にあると おもうのです。「そのひとのことを しらない」から、おしえてもらう。そのひとが説明できるなら、そのひとに。そのひとが説明できないなら、介護している ひとに。専門性なんか あったって、しらないひとのことは しらない。けど、それまでの経験は もちろん役にたちます。


 緊張しすぎないとか、てんぱってしまわないというのも経験者の つよみです。しろうとは あたふたしますからね。おちついてできない。


 介護でも介助でも なんでも いいけど、「専門のひと」が いて、「しろうと」は へたに てだしすべきではなくて、「専門のひと」に おまかせするべきだなんていう かんがえかたが ひろまってしまうと、いやだなあと おもいますね。


 ちかくに いるひとが、たのまれたとき、必要だと自分で おもったときに てつだうということが あたりまえになってほしいです。
 そのとき必要なのは、謙虚になることだと おもっています。わからないということを 自覚する。あんまり意味づけしないというのも だいじかな。


 ベテランのほうが よっぽど わるいということが あったりもするわけですから、「素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかり」などと いわずに、どんどんボランティアしてほしいと おもいます。福祉施設で虐待などの問題が あきらかになることがありますよね。実習に きた学生が それを実習日誌に かいて おおやけになるというケースが よくあります。


 まあ、よく いわれることですけど、ひとに必要とされるというのは、けっこう たすけられることですし、自分を 否定してばかりの ひとは なおさら やりがいを 感じるでしょう。みんなで なにかするというだけで たのしいものですしね。


 けど、得意じゃないことを むりして する必要はないわけで、自分が得意とすることを、自分が余裕のあるときに、ひまつぶしがてらに なにかするというのが いいんじゃないかなーって おもいます。


 できないときには できない。できないことは できない。やれることを やれるときに。ひゅっひゅっひゅー。