hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

わたしたちは、世界のことに責任がある。


 責任ということ。それは、わたしは、いま いきているということ。この世界を、みんなで わけあっているということです。だれもが、かぎりある いまを いきています。はかなく、あやうい世界を ともに あゆんでいます。いのるように、それでも あせって からまわりしないように、すこしずつ、そして 革命的に かんがえていくしかないはずです。


 「人間の責任」を ひきうけるということ。それは、社会の ありかたに 責任を もつということでしょう。だれもが、社会を かたちづくる 主体として 存在するのですから。かぎりあるものを、わけあって いきているのですから。

 うえのイルコモンズさんの記事に「1月1日の空爆直後のガザ市街」を つたえるユーチューブの動画が はられていました。イルコモンズさんの配慮で「あまりに痛ましいので、ここに掲載するにあたって、サイズをうんと小さく」してあります。この動画を みていて、これが いま現在「この世界で おこっていること」だということが 信じられません。どうして こんなことが ありうるのでしょうか。空爆も、地上侵攻もするな! ころすな! ただ それだけのことが、どうして つたわらないのでしょうか。いえ、それでも つたえなくてはなりません。


 ころすな! ころすな! ころすな!


 こころを ころして ひとを ころせる人間になるな。いきさせろ!


 現実をしり、自分に なにができるかを かんがえ、行動する。ゼロより、ひとつ。ひとつより ふたつ。ふたつよりも みっつ。



 ひとりより、ふたり。ふたりより3人。3人よりも4人。4人よりも5人。どんどん ひろげていきましょう。



 ひとりでは無力ですって? あなたが無力だということは、わたしが無力だということは、てを さしのべ、連帯できるということです。無力なぶんだけ、わたしたちは かんがえることができます。そして、無力ではないことを 宣言するために、手をつなぐことができます。


 いきろ! ころすな!


 たったそれだけのことです。


 ころすな! ころすな! ころすな!


 この世界で おきていることに、「わたしは関係ない」ということは、絶対にできない。わたしたちは、世界のことに責任があるのだ。