遺伝子組み換え作物と知的所有権(生産者を 支配するもの)。
きょうは、遺伝子組み換え(いでんし くみかえ)作物(さくもつ)について。むずかしいけど 挑戦します。
うえの記事が たいへん話題になっていたのですが、ちょっと残念に感じました。なぜなら、うえの記事では安全性についての議論だけに注目し、「遺伝子組み換え食品」は危険だというのは根拠が うすいという内容だったからです。
そのため、わたしは この記事のはてなブックマークで つぎのようにコメントしました。
知的所有権の問題が指摘されていない。消費者の視点だけじゃなくて、生産者の視点も必要。まだ ちゃんと しらべてないから、たいしたコメントできない。べんきょうする。
まだ べんきょうできたとは いえないのですが、とりあえず、かけることを かきます。よろしく おねがいします。
辻信一(つじ・しんいち)さんとの共著の『そろそろスローフード』で、島村奈津(しまむら・なつ)さんは、「遺伝子組み換えは食べものの世界においてはあり得ない」と いっています。その理由は、つぎのとおりです。
(52ページ)
ビタミン含有率が高い遺伝子組み換えのゴールデンライスの開発に対して、イギリスのビタミン不足の子どもたちのために開発しているのになぜ反対かと、ヴァンダナ・シヴァさんが責められた。答えは、「そんなものはいらない。リンゴひとつ食べればビタミンは補えるもの」。バランス良く食べれば、そんなものはつくる必要がないし、ほんとうに栄養不足の子どもたちの役にたつわけでもない。そして、ゴールデンライスみたいな画一的な圃場(ほじょう)をつくるためになぎ倒された、たくさんの薬草でビタミンを補給していたインドの子どもたちが、年間4000人失明していると反論していました。もうひとつは、バスマティライスに象徴される特許の話があります。何百年もかけてそこの風土に合う品種を農家の人たちが選抜してきたものと本質的に違うのは、スピードと暴力性。アメリカの大企業が特許をとって、インドの農家がバスマティライスという名前で売れないという状況をつくってしまうというのは、あり得ないと思うんです。
島村さんによると小麦と大豆では、遺伝子組み換えの導入に ちがいがあるそうです。
(60-61ページ)
…小麦は聖書にでてくる聖なる食べものだから、反対が多くてなかなか遺伝子組み換えが進まないらしい。一方で、日本の伝統調味料の根幹にある大豆や、メキシコの人たちがマヤ文明のころから大事にしてきたトウモロコシは、遺伝子組み換えが進んでいる。ひどい話でしょ。
それではここで、安田節子(やすだ・せつこ)さんの つぎの記事を よんでみてください。
一部を 引用します。
多国籍バイオ企業は各社とも戦略的に種苗企業の買収を続けています。バイオ巨人企業のモンサント社(米国)は穀物メジャーのカーギルの種子部門買収をはじめ、積極的に種子企業の買収に取り組んできました。そして05年1月に野菜・果物の種苗最大手のセミニス社を買収しました。
セミニスは3500以上の種子を販売し、特にトマトやキュウリで大きなシェアを持つ会社です。モンサント社はこの買収で種苗分野でも最大手になりました。
バイオ企業がそれまで目立たない分野だった種子事業の買収に力をいれるようになったのは、遺伝子組み換え技術によって生物に特許をかけることができるようになったことと関係があります。特許種子からの利益のみならず、種子に関連する農業資材(農薬、肥料、機械など)も企業の指導に基づき販売されます。モンサント社は遺伝子組み換えの特許種子を盾に、自家採取はもとより花粉交雑でも特許侵害として農家から賠償金を取り立てビジネスにしています。
いまや種子は農家の自給的種子から商品としての種子に取って代わられていっています。われわれの食べものの源である種子が商品化され、ごく一握りの企業に牛耳られることに危機感を抱かざるを得ません。
安田さんは、つぎのように疑問を なげかけています。これは、とても たいせつな といかけだと おもっています。
遺伝子組み換え技術の問題性は、つまるところ種子や生物に知的所有権や生物特許を主張し、私物化するということにあると私は思います。種子の支配は食の支配です。つまり私たちのいのちを左右する力を企業が握るということ。そういう未来を誰が望むでしょうか。
天笠啓祐(あまがさ・けいすけ)さんは、つぎのように現状を 説明しています。
(天笠「「遺伝子組み換え」待望論をめぐって」『オルタ』2008年 7・8号、26ページより)
GM[遺伝子組み換え(あべ注)]作物の栽培面積が拡大しているが、それは他の種子が入手し難くなったからである。モンサント社などバイテク企業が種子企業を買収し、市場独占を進めてきたからである。
大企業は もうかっているようですが、はたして生産者は どうなのでしょうか。とても気になります。構造的に従属させられている現状にあると いえるのではないでしょうか。ここにあるのは問答無用の論理です。自分の権益を 拡大することにしか興味のない資本主義の論理です。わたしは、このような「タネの支配」は、いかがわしいものだと感じます。
ここで、わたしの敬愛する塩見直紀(しおみ・なおき)さんの『半農半Xという生き方』ソニー・マガジンズ新書を よんでみましょう。塩見さんは会社づとめを しながら、自給農を はじめたそうなのですが、あることに気づいたそうです。
(118ページ)
あるとき、それは「完全な自給」ではないことに気がついた。なぜなら、野菜のタネのほとんどは、毎年、いや永遠に種苗会社の交配種(いわゆるF1種=一代交配種)を買い求めなくてはならないからである。
種苗会社の掌(たなごころ)の上で「農」をしていることに愕然とした。
その種苗は化学肥料や農薬の使用が前提となっていたり、自分でタネを採取せず、次年度も購入せざるをえない仕組みになっていたりする。次世代にいのちをつなぐという生命の本質からかけ離れつつあるものになっている。
「種子を制するものが世界を制す」という種子ビジネスの渦中に私たちがいることを知ったのである。
塩見さんによれば、なんと「F1というのは一代限りで優れた能力を発揮し、次の季節に次のタネをまいても形質がバラバラになり、同じものがわずかしかできない」というのです(119ページ)。
遺伝子組み換え作物以前の問題として、すでに、タネは支配されていたということです。そして、さらに その支配が つよまりつつあるということなのです。その点を しっておく必要がありそうです。
遺伝子組み換え作物における 特許(知的所有権)の問題を 自覚し、現代における農業というものが、タネを支配するビジネスによって支配されてしまっているということまで、きちんと みすえる必要があるのではないでしょうか。そして、ちがった農業のありかたに、注目する必要があると おもいます。塩見さんは つぎのように のべています。
(120ページ)
F1の問題は一代限りの発想、設計思想の問題だと思う。もし、種苗会社の発想として、一代目だけ販売するが、二代目は購入者が自分で育てるのだという発想のタネを目指したら、もっと違ってくる。問題は家電などと同じように、永遠に買い続けないといけないといった、工業的な発想が根幹にあることではないかと思っている。
そして、塩見さんは ご自分の めざすところを、つぎのように のべています。
(121-122ページ)
在来種を守り伝える人々をさまざまな形で支援し、自らも連綿たるいのちの支援者として、いのちの種子を大地にまいていく。お互いが手塩にかけ育み合ったいのちのタネを交換し合い、味わい合い、未来に遺し合うことができればと思っている。
ぜひとも、このような とりくみに賛同し、「いのちをつなぐ」思想を、とりもどさなくてはなりません。
いのちから、いのちへ。タネを みつめて。タネを、みつめなおして。
追記(2月26日):
わたしは遺伝子くみかえ作物については、ほとんど予備知識がなく、それでも べんきょうしてみようということで、いくつか手もとにある本や雑誌をよんで かいたのが、最初の記事(遺伝子組み換え作物と知的所有権(生産者を 支配するもの)。 - hituziのブログじゃがー)でした。
しばらくたって、遺伝子組み換え作物、知的所有権、そして農薬。 - hituziのブログじゃがーを かきました。一方には遺伝子くみかえ作物に批判する議論があり、そして、そうした議論はニセ科学だという議論があるのは わかっていました。ただ、技術が いま現に どのように利用されているのかについても注目する必要があるように感じられました。とくに、「遺伝子組み換え作物、知的所有権、そして農薬。」の記事では、遺伝子くみかえ作物を推進する ひとたちは、多国籍企業がしていることについて、どのように おもっているのか、率直な意見が ききたいと おもいました。
わたしは遺伝子くみかえ作物は、工業的な大規模農業に適したものだと おもっていました。だから、世界のどこでも利用価値のあるものだとは いえないのではないかという先入観がありました。
そうしたわたしの疑問や先入観について、くわしく応答してくださる記事を トラックバックしていただきましたので、たいへん おそくなりましたが、追記して ご紹介します。
専門家の かたから、これだけ ていねいにご批判いただくことは、めったにないことで、こころから感謝しています。もちろん、感謝だけでなく、申し訳ない気もちにもなります。無理解な ひとが いなければ、専門家が苦労して何度も解説する必要はなくなるのですから。
ともかく、わたしの問題意識によりそうかたちで、論理的に議論されているので感動しました。感動している場合かと批判されましたら、あらためて 頭を さげるしかありませんけれども。ともかく、じっくり幻影随想: 「ビタミンAがなければ、リンゴを食べればいいじゃない」byヴァンダナ・シヴァを およみください。見識の ふかさに感銘をうけます。