hituziのブログじゃがー

ツイッターは おわった。もっぺんブログの時代じゃ。

「hituziのブログ」について

このブログも7ヶ月目なのね。そろそろ、このブログについての わたしの かんがえをかいておく。

このブログは、基本的に おあそびです。なんにも かんがえずに文章かいてますし、よむ価値のある記事なんて、ほとんどないと おもってます。評価してくれる人も なかには いるのかもしれませんが、わたしは そういうスタンスでやっています。「無料体験コース」ですから。「やってみること」だけに自分のなかでの意味があります。

最初のころの記事をみても わかるように、まじめな話をするつもりは全然なかった。森達也(もり・たつや)さんの文章を紹介しはじめたころから、ふっきれた感じがする。でも、全部おあそびレベルだ。

ブログに記事をかきながら つくづく感じるのは、「こーだ」と いえばこそ、「あーだ」とも いえることが わかるってこと。だから、断言すべきでは ないという立場もあると おもう。でも、あえて断言することで、もうひとつの視点が くっきりしてくるということも あるだろう。

わたしは坂口安吾(さかぐち・あんご)の愛読者でありまして、問題意識の土台には、この人の影響というのが かなりある。たとえば つぎの文章。
私は日本伝統の精神をヤッツケ、もののあわれ、さび幽玄の精神などを否定した。然し、私の言っていることは、真理でも何でもない。ただ時代的な意味があるだけだ。ヤッツケた私は、ヤッツケた言葉のために、欺瞞を見破られ、論破される。私の否定の上に於いて、再び、もののあわれは成り立つものです。ベンショウホウなどと言う必要はない。ただ、あたりまえの話だ。
(「余はベンメイす」『散る日本』1973年、角川文庫、101ページ)
あぁ…。引用していて あほらしくなってきた(笑)。そのまんまじゃんけ!


ということで、このブログは、てきとーなことを、文章をねることなく さらし、自分で つっこみをいれるというスタイルをとります。たぶん、これからも そうなります。文章をねって かいてると、自分のなかで違和感や疑問が のこらない。そしたら、つぎの文章に つづかない。へんなことをかけばこそ、つづけていける。そゆことです。こんな「あーだ、こーだ」なブログでも、読者さまが いてくれるなら、うれしいことだと おもいますです。

グーグル:「余はベンメイす」