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いくら論理をかたっても、背後にあるのは感情さ

「タケシマ」とか「トクト」とか よばれてる島が、なんだか話題ですね。

日本と韓国では、あの島に対する温度差がありますやね。ふつー、あんな話はマニアックな人しか興味もたないだろうと おもうんだけども、韓国だと、どこにでも「トクトはウリナラの領土です」って かいてある。手話の入門書にさえ かいてあるんだもんね。地図のところに(『もっとも うつくしい言語 手話』)。

国境線なんて あいまいなわけで、「こっちだ、あっちだ」ってなるのは あたりまえじゃないですか。たとえばですよ、身長が170センチ以下の人を「ハラー人」、170以上の人を「ゲーダ人」ということにしてみましょうよ。「おれは どっちなんだ?」「おまえは こっちだ!」なんて話が絶対でてくるっての。

わたしゃ、どちらの主張が どれだけ論理的か、なんてのには興味ないです。だって、どーでも いいし。でも、どーしたら「こっちだ、あっちだ」って感情から自由になれるのだろうかってことに興味がある。たいせつなのは論理じゃない。感情のメカニズムをしることだ。

それにしても「領土としての島」って よく わかんないね。ちょっと たまたま海面より でっぱってるものを「島」だと いって、それが紛争になるんだから。ところで、あの島って どれくらいの おっきさなのよ。ま、いいや。

グーグル:「国境線」 / 「論理と感情」