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おたがいのジレンマをさらけだし、みとめあう瞬間

菜食の話は やっぱり おもしろいもんだ。もうすこし つづける。

森達也(もり・たつや)さんは、食についても あれこれ かんがえをもってるようだ。「1999年のよだかの星」という動物実験をテーマにしたドキュメンタリーも つくってるそうだし。おもしろそうですよ。「他の生命を犠牲にすることでしか生命は持続できないという矛盾」に焦点をあてたとのこと(『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』2003、晶文社、230ページ)。この本から ちょっと引用しよう。麻原被告の こどもとの会話のところ。
…でもさ、今こうして歩いているだけでも、虫や微生物を人はたくさん踏みつけてるんだよと僕は言った。不殺生を唱える宗教者や菜食主義者に、そんな信条を持たない誰もが思いつく質問だ。土を眺めていたアーチャリーは顔を上げ、如何にも辛そうに、しみじみとこうつぶやいた。
「……そうなんですよねえ」(231ページ)
この、「そうなんですよねえ」と もらした ひとが だれなのかは ここでは関係ない。ジレンマ(葛藤)というものは、だれしも もっているし、ちょっと かんがえてみると あれやこれや矛盾だらけだったりもする。そこを他人が つつくのは たやすい。岡目八目ってのも あるし、その ひとの気もちを、あんまり しらないってこともある。たいがいの菜食者は、この「そうなんですよねえ」をかかえているし、むきあっている。雑食の ひとも、肉食について あれこれ指摘されれば、「そうだよなあ」と おもいかえすもの。いろんな感情をもってるからだし、スパッと わりきれるほど、人生は単純じゃないからだ。そもそも、対立する両極に「わたしと あなた」を位置づけるのが問題なんだろう。おたがいのジレンマをさらけだし、その ひとつ ひとつに共感していけば、対話は なりたつし、理解しあえる。そして、その瞬間ほど 気もちの いいことって ないと おもう。

ところで、森さんの こどもさんも おもしろい。
「でもこのキャベツを食べるためには、かわいそうだけど虫は殺さなくてはならないのだ」と彼女に説明した。
「飼えばいいじゃない?」
「飼う? どうやって」
「キャベツを買ってくればいいでしょう」
こうして青虫たちは水槽の中で市販のキャベツを食べながら生きている。(230ページ)
うぬぬ。すごいな、こどもも 親も。そして、森さんは つぎのように しめくくる。
僕らは星にはなれない。矛盾を抱えながら生き続けるしかない。次女はいずれ、青虫を市販のキャベツで飼うことの矛盾に気づくだろう。大いに悩んでほしい。答えなどない。辛い作業ではあるけれど、でも僕もこうして、出口のない煩悶を今後も続けてゆくつもりだし、彼女にもそうあって欲しいと思っている。(232ページ)
引用してるだけで涙が でてくる。これだから森さんが すきだ。森さんの本が また でた。『いのちの食べかた』なる本。よかったら、よんでみてください。

グーグル:「森達也」 / 「生きることの矛盾」 / 「1999年のよだかの星」
ブログへのリンク:動物のお医者さん日記 / たくさんのありがとうを君に…

付記:じゅんやさんの ご指摘で、アーチェリーをアーチャリーに修正。ずっと かんちがいしてました! 「感慨深い」を「考え深い」だと おもってた わたしですから(笑)。